わるいところも
いつだったかの個人面談で、息子の担任の先生から言われた言葉がある。
「連絡帳には、わるいところも書いていいんだからね」
いいこと、だけを選んで書いていた自覚は無かったけどそう言われて、あぁ、たしかにいいことばかりを書き連ねていたなあと気がついた。しかし、気がつくのと納得するのは乖離があるようで、わたしはいまだにいいことばかりを書いてしまう。
わるいこと、として先生が挙げた例として『うちの子はいつもわがままばかりで』とか『野菜嫌いで困る』とか『休みの日何したらいいかわからない』とかそういうことを指すらしい。
先生と息子の愚痴を言い合う気持ちは無いが、先生も人間だ、愚痴に隠れた悩みを共有することでコミュニケーションを図りたいという思いでそう言っているのはわかる気もする。
その点わたしの連絡帳は『今日は◯◯ができました』とか『息子なりに成長しているようです』とか『応援してあげたいと思います』とか肯定の言葉ばかりが並んで、もしかしたら味気なく感じているのかもしれない。
そして「もっと悩みを話してね」と念を押されて、手のひら握られて、帰ってきた。ふうん、と思った。悩みがないわけではないけれど、息子のわるいところはいいところに決まっているじゃない。
そしてどこかで、理解し難い息子のあれやこれを守りたい思いがわたしに頑なにわるいところを書かないように動かしているのかもしれないけれど。