みんな、へん。

ある人は個性と言う。ある人は棘と言う。それならわたしは愛を込めて「へん」と呼ぼう。

いにしえの、同担拒否

『同担拒否』という言葉をご存知だろうか。

 

芸能人やアニメキャラなどの、現実社会に存在し得ない特定の対象に対してあまりに強く思いを寄せてしまうがゆえに『リアコ』してしまい、本来であれば共に特定の対象を応援する立場にある他のファンを一方的に敵と見做し、シャットアウトしてしまう難儀な心理状態を指すスラングである。同じ担当を受け持つことを断固として拒否する。ちなみに『リアコ』とはリアルに恋する、の略称である。リアルガチのやつ。

 

今を遡ること25年ほど前の1990年代後期。わたしが小学校の高学年のときだった。同担拒否、の字面を見かけるたびに5年生のときのクラス替えを経て初めて同じクラスになったマリちゃんという女の子を思い出してしまう。

 

マリちゃんは、当時めきめきと人気が出始めたV6のファンだった。アイドル雑誌Myojoの切り抜きを自由帳に貼って学校に持ってきており、休み時間になると決まってそれを広げて、教室中の女子にこう呼びかけるのだ。

 

「ねーねー、ブイロクで付き合うなら誰がいい?」

 

この問い掛けをみんな警戒していた。マリちゃんにロックオンされた女子は休み時間いっぱいMyojoコレクションを自慢されることになるからだ。活発な女子たちは我先にグラウンドやら体育館へと遊びに行ってしまうのに、元来インドア派だったわたしは、その日ついにマリちゃんの問い掛けを真っ正面から食らう羽目になった。しかしながら当時のわたしはアイドルの知識は全くと言っていい程無く、お付き合いするという概念すら心得てなかった。なのに。わたしが選べないのを知ってか知らずかマリちゃんは目を輝かせてぐいぐいと詰め寄ってくる。

 

適当に選ぶことが出来なかったのは、前に失敗したことがあったから。何かの流れで女子数人で男子の家に遊びに行くことになり、同じく当時人気があったストIIのゲームをやることになった。操作するキャラクターを選択するタイミングがわたしに回って来て、誰を選んだらいいかわからずに固まっていると、早くして!とまわりに急かされて適当に選んだのがたまたまエドモンド本田で、そのチョイスがストIIキッズ的には何やら奇妙だったらしくその日からしばらくエドモンド髙橋と呼ばれることになったからだ。それ以来、前情報もなくむやみに選択することを未だに恐れている。

 

だからブイロクで誰がいいかなんて怖くて怖くて選べない。しかしまたここでもマリちゃんが急かすもんだから、適当に森田剛を選んでしまった。

 

「え?なんで?モリゴウはダメ!モリゴウはわたしだよー!」

 

すると突然、マリちゃんはわたしに見せていた自由帳を取り上げて、抱きしめ、奇声を上げて泣き出してしまった。教室中がピリついたし、当のわたしも何が起こったのか理解が追いつかなかった。泣き声を聞きつけたインドアキッズたちがどうしたどうしたとわたしの席を取り囲む。担任の先生も来たし、隣のクラスのインドアキッズたちもこちらを覗きこんでいるのがわかった。マリちゃんは咽びながら「モリゴウはわたしのだよう!!」とテンションがますますあがり、鼻水やら何やらで顔面ぐちゃぐちゃになっていた。まずは話を整理しよう、と先生が間に入る。マリちゃんは嗚咽で受け答えできる状態では無いので視線はわたしに向けられた。こうなった経緯を順を追って話すと、取り巻きインドアキッズの誰かが「モリゴウはマリちゃんが好きなのに可哀想」とあろうことかマリちゃんを同情する声が上がる。ヒソヒソ声だけど拡声器を介したかのように爆音に聞こえ、ダメージがでかい。それを先生がやんわりと制し「わかってて意地悪したのならあやまりましょう」とまさかのマリちゃん擁護の動きに。ここでマリちゃんが息を吹き返し「モリゴウはわたしのだよう!!」また咆哮した。わたしは元来のくせで固まってしまい何も言わずにいるし、しばらく両者沈黙の膠着状態に陥ってしまった。授業開始を告げるチャイムが鳴り、野次馬は散り散りに消えていく。担任の先生は「マリさんも、学校に勉強に必要のないものは持ってこないで下さい」とやんわりと嗜め、何の着地もないまま冷戦状態へと突入してしまった。

 

次の授業は社会だったのを今でも覚えている。わたしは社会の時間いっぱい使って、授業もろくに聞かず『なぜよりによって森田剛を指差してしまったのか』ひたすら自問自答を繰り返した。なぜって?センターに写っていたから。なぜって?誰が誰でもおんなじだと思ったから。なぜって?適当に答えて早くマリちゃんとの時間が終わればいいと思ったから。なぜって?どうでもいい問いだったから。なぜって?いちばんイケメンだったから。なぜって?わたしの運が悪かったから…!!こんなにも授業が早く終わると感じたことはいままでになかった。無情にも次の授業の合間に5分休憩が始まってしまう。

 

知りたくはなかったけど、私の席から2列左斜め前方に座るマリちゃんのほうをなんとなく向いてみた。マリちゃんは自由帳を開いて当該ページを眺めひとりで過ごしていた。表情は見えないが、まだ落ち込んでいるように思えてとても怖いと思った。もういやだ。わたしのこころはマリちゃんにしっちゃかめっちゃかにされている。

 

もし1990年代においでやす小田が居たら「知るかー!!そんなん知るかー!!怖ーっ!!」とマリちゃんの咆哮を凌駕するくらい仰け反りながら大絶叫する自信はあったが、残念ながら1990年代においでやす小田は居なかったし、わたしの心情を他にうまく言い表す言葉が見当たらなかった。

 

 

 

するとマリちゃんが、自由帳を開いたまま立ち上がり、こちらに向かってきた。そしてわたしにこう話しかけてきた。

 

 

 

「ねーねー、じゃあイノッチならいいよ!」

 

 

 

とびきりの笑顔を携えて。

 

 

アンパンマン、強し

2歳になる娘が、やはり通過儀礼のごとくアンパンマンに嵌っている。誕生日、クリスマスとイベントを迎えるたびに家中に赤と黄色の残像が増える、増える。

息子も1歳を過ぎたあたりから年中になる頃まで彼に夢中になった。息子を連れて泊まりがけでアンパンマンミュージアムにも何回か行ったっけな。アンパンマン強し…しかしながら円形構造のシンプルなデザインは何故にこうも子どもウケが良いのか。しかもアンも、パンも、マンも言葉の出始めのお子さん方に無理のない発音で、なんならママやパパと言うより容易な言語配列じゃないか。そこらへん、計算しつくされているの?案外腹黒いの?そらそうだ彼の腹には夢と黒光りしたアンコがみっちり詰まっている…

そんなことを思いながら光の差さない彼の漆黒の瞳に見入っていると、ふと「かまいたちの山内みたいだなあ」と邪念が過ってしまって以来もうそれにしか見えなくなってしまった。私はもう汚い大人になってしまったのだ。

汚い大人になっても何か夢中になれることがあると清くいられるんじゃないかと思う。自分自身は熱し易く冷め易いのを自覚しているから、夢中になることの尊さみたいなものは常々感じている。趣味欲しいな趣味。手始めにここでアウトプットして、自分が思ってることに目を向けたい。

一軍のアンパンマンが娘に寝かしつけられてすやすや寝ている。
控えのアンパンマンは玩具箱の中。
おやすみなさい。

ブランニュー、デー

36歳になった。

風呂に入りながら、思考の数珠つなぎがはじまり、気がつくとおっさんずラブの黒澤武蔵に思いを馳せていた。


おっさんずラブは実は3作品あって、玩具メーカー編、不動産会社編、空港編といずれも吉田鋼太郎演じる黒澤武蔵が田中圭演じる春田創一に思いを馳せるという一貫としたテーマの元、物語が進行する。違うのは彼らを取り巻く世界観、他の登場人物、そして黒澤武蔵の恋敵たちだ。


おっさんずラブを知らない方、これから先はネタバレになるので目を伏せて頂きたい。








風呂の追い焚きが始まる。




黒澤武蔵は玩具メーカー編、不動産会社編で恋敵に敗れて身をひいてしまうのだが、最終章の空港編の最後の最後についに春田創一を振り向かせることに成功し、晴れて2人は相思相愛の仲となったのだ。


なんか、急になーんか、よく考えたら武蔵すごいじゃん、何その執念。何なん?!おら、ぞくぞくすっぞー!だって、だーって、武蔵は2回転生してやっとはるたんを射止めたんだよ!!武蔵、ほむらちゃん、時かけ!!一途!!なのに、なのに何で私は毎日毎日同じようなことばっかりして、毎日毎日同じようなことばっかり悩んで、忘れて、毎日毎日同じようなことばっかり繰り返すんだろう。ばかじゃないのか!!


よし、じゃあ



今日から毎日、昨日の自分がやらなかった新しいことをやっていこう。



手始めに、風呂からあがり、物干しにぶら下がっていた洗濯ばさみを鼻に挟んだ。昨日までの自分だったら、絶対にやってないこと。


痛い…!


すごく痛いけど


前向きに生きている感はあった。


わるいところも

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すいかわりしたよ。

 

 


いつだったかの個人面談で、息子の担任の先生から言われた言葉がある。

 

「連絡帳には、わるいところも書いていいんだからね」

 

いいこと、だけを選んで書いていた自覚は無かったけどそう言われて、あぁ、たしかにいいことばかりを書き連ねていたなあと気がついた。しかし、気がつくのと納得するのは乖離があるようで、わたしはいまだにいいことばかりを書いてしまう。

 

わるいこと、として先生が挙げた例として『うちの子はいつもわがままばかりで』とか『野菜嫌いで困る』とか『休みの日何したらいいかわからない』とかそういうことを指すらしい。

 

先生と息子の愚痴を言い合う気持ちは無いが、先生も人間だ、愚痴に隠れた悩みを共有することでコミュニケーションを図りたいという思いでそう言っているのはわかる気もする。

 

その点わたしの連絡帳は『今日は◯◯ができました』とか『息子なりに成長しているようです』とか『応援してあげたいと思います』とか肯定の言葉ばかりが並んで、もしかしたら味気なく感じているのかもしれない。

 

そして「もっと悩みを話してね」と念を押されて、手のひら握られて、帰ってきた。ふうん、と思った。悩みがないわけではないけれど、息子のわるいところはいいところに決まっているじゃない。

 

そしてどこかで、理解し難い息子のあれやこれを守りたい思いがわたしに頑なにわるいところを書かないように動かしているのかもしれないけれど。

 

 

 

息子

「手を出さないの、むずかしい」

寝る前に息子がぽつりと呟いた。

 

昨日は保育園生活最後の遠足で、たのしい!たのしい!と満開の笑顔を咲かせていた彼の表情がいまは曇っている。明かりを落とした寝室で、その上わたしに背を向けているから顔は見えないけど、多分、悲しい顔をしている。

 

なに、どうしたの?と問いかけるとちょっと黙ってから息子が続ける。

 

「友達にいやなことされると手が出るんだよ、ぼくは」

 

息子の悩みとは。

対人関係で、コミュニケーションがうまく築けないことが原因でよくトラブルが起こしてしまう。言葉や発育の遅れはなく、集団行動への順応なんかは問題が無いらしい。だけどただ一つ、息子の持つ衝動的な部分だけが彼を苦しめている。

 

保育園の2歳児クラスに入園した当初からたびたび「様子を見ましょう」と観察されてきた経緯がある。そんな彼もいまや年長。いままでは本人の悩みと言うよりは保育園と親のみで共有する悩みだった。息子自身が苦悩している素ぶりは出さなかったから、いまこうして息子の口から悩みが語られるのは初めてのことだ。

 

はぐらかすな、大事なとこだから。わたしはわたしに念を押して息子の背中からぎゅっと抱きしめた。

 

「むずかしいよなー、簡単になおせるものじゃないから。心配しなくて大丈夫だよ」

「うん」

 

息子が涙声でうなづいた。わたし、まちがってなかったかな。そのあと息子はすぐに眠った。

 

むずかしいよ。

 

 

 

 

おとうさんとおかあさん

今週のお題「おとうさん」


旦那と、5歳になる息子と、わたしの3人とで生活を共にしていると、いまや「おとうさん」の対象は実の父ではなく、旦那に上書きされつつある。


旦那と生活を共にしてもうじき10年になる。結婚した当初、まるで世の子どもに対して興味を示さなかったかつての旦那は、一体どんな「おとうさん」になるのか想像もつかなかった。そしてわたしも同じような人間だったので自分が「おかあさん」になることも具体的に描けないまま、仕事に没頭し隙間の時間を趣味に費やすような時代を過ごしていた。それはそれで満たされていたし、何の不満も無かったのだけど、結婚から3年が経とうとした頃、自分たちの子どもを持つことを意識し始めていたことをお互いに共有する。子どもをつくろう、と。


息子が生まれてからというもの、旦那は目に余る程の子煩悩おとうさんに成長した。わたしも不器用ながら息子のペースに乗っかって毎日育児に奔走している。子どもをつくろうとしていたあの頃わたしたちは知るよしもないけれど、息子によっておとうさんとおかあさんがつくられたのだと思うと感慨深いものがある。


おとうさんの日に寄せて。


おかあさんより。